“ご近所カプリッチョ”












  ご近所カプリッチョ 








 受験にあたって、慎弥は漠然とした憧れから進学先を京都の大学にした。


 生まれも育ちも東京で、シンヤの周囲の友人達もそのまま当たり前に首都圏の大学を志望していたが、なんとなくそれは避けたかったのだ。某小説群の影響はあるせよ、中二病の名残ではない、と本人は厳しく思っている。
 一人暮らしへの憧れもあった。間違いなく。
 そして運良く合格の運びとなり、シンヤは憧れの街、京都で学生ライフを送ることになったのだが。
 初めての一人暮らしだし、しかも馴染みのない地方だ。親の強い勧めで、市街地の大学近くではなく、中心部からは離れた地区に住む遠い親戚宅の近くの下宿があてがわれた。たまり場にならないのはありがたかったが、同級生やサークルの友人たちと遊ぶ時には不便で閉口した。そもそも、東京と違って電車の時間も早い。あっという間に主要な交通手段は自転車に、小金が貯まったあとは原チャになった。
 それも、この街らしいといえばらしいかもしれなかった。


 問題はバイト先だ。
 大学近くが便もいいのだが、帰るのが途端に億劫になる。いつでも入り浸れるような関係の人もいない(カノジョとか、彼女とか、恋人とかだ!)。しかも夜中の住宅地の夜道はけっこう危険で、シンヤは自動車に曳かれそうになること三回で、深夜または早朝のコンビニバイトは下宿の近くにすることに決めた。人手不足の折だ、早速、週二、三日入ることになった。
 深夜早朝は時給が高く、シフトに入る人員も少ないのでやることが多いが、更に言えば客も少ないので、それほど辛くはない。面倒な人付き合いも生じないので、シンヤとしては気が楽だったし、ちょっとした楽しみ(?)もあったので。
 夜中に来る客のほとんどは常連だが、その中にとても綺麗な顔の男性が居た。
 最初に見たときは、思わず二度見どころか三度見した。それ以降もつい目で追ってしまう程度の美形で、立ち姿まで艶やかだ。服装は学生っぽく無造作だが、そのまま中目黒のシャレオツカフェにいてもおかしくない存在感だった。
 家族経営のコンビニなので、隣接のお宅に住む店長や奥さんにちらっと訊ねると、あっという間に身元は割れた。まあ、あれだけ目立つならそれも当然だろう。
「K大の院生さんやて。物理がどうとかゆうてはったけど。なんや難しゅうてようわからんわ」
 奥さんはあっけらかんと笑う。
 K大の物理、って……いわゆるガチのインテリなのでは? シンヤの想像の外である。佇まいから芸大や美大の学生かと予想していたのだが。端麗な容姿とは違って、どことなく鋭利な空気感なのだ。まあ、変わり者が多いことで有名なK大だ、あのひとでも馴染むのかもしれない。と、シンヤは手前勝手に納得した。
 それにしても、美貌の院生さんは真夜中の来店が多く、徹夜明けのような風情で早朝に来ることもあるので、研究は忙しいらしい。K大もここからけっこうな距離だ。まれに言葉を交わすが(ICOCAでお願いしますとか箸はいりませんとか)、まったく関西訛りがないので、わざわざこんなところに住んでるのかとシンヤは内心、首を傾げていた。
 なお、ド深夜に来るときには、発泡酒と納豆巻きとからあげを買っていくので、好きなんだなあと思ったりする。
 あと意外だったのはプロ野球のチケットだ。院生さんはたまに試合のチケットを発券するのだが、見た目の雰囲気と野球は全くかすらないし、ご贔屓のチームの試合を見に行くにしては特に楽しそうでもないので、なんだか意外な気がしたのだ。
 なお、その球団のチケットは他でもちらほら出る。関西で幅をきかせる老舗球団でもないし、もともと野球に関心が高い地域ではない。不思議に思って地元出身の友人達に訊いても、特に京都でそのチームの人気が高いわけではなく、この店特有のことらしかった。よくよく観察すると、店内にはその球団のポスターが商品とは無関係に貼ってあったりする。なんだろう……と思っていたら、近所に野球強豪校のグラウンドがあり、そこのOBが所属しているせいらしい。シンヤのシフトとはあまり合わないが、そこの野球部員たちは上得意のようだ。運動部の男子高校生ならさもありなん。しかし、院生さんとの関係はイマイチ不明である。
 ま、ちょいちょい謎はあるが、シンヤはこのバイト先に満足していた。




 秋も深まった頃、シンヤは中華まんの在庫を確認していた。
 盆地のせいか、日が落ちれば急に風が冷たくなり、中華まんやおでんの売れ行きが伸びる。そらそうだよな、と一人頷きながらピザまんをセットしていると、自動ドアが開いてピンポンと音がした。
 シンヤが「いらっしゃいませー」と反射で答えながら振り向くと、スーツケースを引いた若い男性が入ってくるところだった。背が高い。百八十半ばか。そういえば、コンビニの入り口には来客の身長が判るようにメモリが付いているのも、バイトを始めてから認知した。ああ、コンビニ強盗とかのニュースで聞く犯人の身長はXXXセンチ程度ってアレのおかげ……と、膝を打った。目に入っていても気付かないものとはあるものだ。
 それにしても、背が高いという以上に、そのお客は怖ろしくスタイルが良かった。小さな頭、長い手足、綺麗な逆三角形の背中、ほとんどマネキンかフィギュアのようだ。レジの前に立たれて、ウエストの位置が平台よりだいぶ上にあるのを見、シンヤはちょっと引き気味になる。
 や、そんなことでびびってる場合でもない。さてレジ打ちをというところで、ちょうど着信があったらしく、男性は「すみません」とこちらに断りながら、スマフォを取り出した。
「楓? うん、そう、これから……え、いま角のセブンやけど……うん……」
 少し掠れた声は京都弁というより、大阪のニュアンスがある。シンヤも京都生活である程度の地域差を聞き取れるようにはなっている。地元のヤツじゃないのか……と思いつつ、レジ打ちを続けた。
「は? なんて? うん……他は? 欲しいもんある?」
 なるほど、通話の相手はこれから向かう先というか、逢う人らしい。カノジョだな、と心の中で断定したところで、盗み聞きのようだなとばつが悪くなった。シンヤの葛藤はいざ知らず、お客と恋人の話はまとまったようだった。
「すみせん、からあげ追加で。あ、辛いのとふつうの一個ずつ」
 はい、と答えながら、申し訳なさそうな貌をする客を改めて見直す。色黒で精悍な顔立ちなのだが、どこかおっとりとした雰囲気がある。例の院生さんと真逆だな、と思ったりしたのは、きっとからあげを頼まれたせいだろう。
 ありがとうございましたー、とルーチンの挨拶を口にしてから、シンヤは去って行く男性の後ろ姿を、少しのあいだ眺めた。


 それ以降、その長身の男性をたまに見掛けるようになった。
 ただお客としてではなく、多くは早朝、バイト上がりか入りにランニング中の姿を見掛けるのだ。そして、ちょうど奥さんと入れ替わりの時間に彼と出くわした際、奥さんが「たかちゃん、久しぶりやねえ」と親しげに呼んでいたので、昔からの付き合いであるようだ。転職か転勤かで地元に戻って来たのだろうか。
 ま、いずれにせよ、鍛えているからこそのあの体型……と密かに納得した。あまりお客としては来ないのは時間帯が合わないのだろう、と棚出しをしながら思っていると、そういえば最近、例の院生さんを見ないコトに気付いた。まだ冬休みには早いような、というか院生だとあまり関係ないだろう。研究が落ち着いたのだろうか。ちょっとだけつまらないな、とは思ったが、シンヤもそれ以上は考えなかった。
 そんな師走も半ばのある夜。
 チャイム音に挨拶を返すと、『たかちゃん』が入ってくる。珍しい、と思っていると、続いてもう一人、男が入ってくる。
「やー、なついわ、これは」
「卒業以来です?」
「せやな、もう十年か? うっわ」
「そのころのまんまですかね」
「やー、改装してるとちゃうか? そこそこキレイやろ」
「ですねえ」 
 親しげな会話にシンヤがそっと二人を伺うと、新規のお客は同年代、院生さんとはまたタイプの違った、華やかな顔立ちのイケメンだ。こちらも相応にいい体つきをしていることと雰囲気から、属性が同じ、先輩後輩かなと当たりをつける。すると、もう一度、入り口が開閉する音がした。
「ひゃあ、チョーなつかしー?」
 響いた声に振り返れば、非常にガタイのいい若い男だった。その男性客は先客の二人にがしがしと近付いていく。
「お前もそれか!」
「は? なんすか?」
 まあええけど、とりあえず何にする? などと相談を始める。
「とりあえずビールと、ハイボールと」
「え、まだ飲む気ですか? さっき一升瓶二本、空けたやないですか」
「やー、おおかたは聖さんと岸本やろ。俺、たいして飲んでないで」
「ガリレオ先生も飲むんと違います? イケる口でしょ?」
「せや、あれはザル通り越してワクやった。なんかストックもあるやろ。被らないほうがええな」
「うーん、俺、飲まれへんから……あ、なんか農学部で試作してるゆう焼酎があったかも」
「はあ? 飲めんのそれ。なんかの実験ちゃうの?」
「大丈夫や思いますけど」
 たぶんね? と頼りない返事をするたかちゃんの横顔に、先生……農学部……? とシンヤも少し首を傾げた。大学の先生……彼等は大学の先輩後輩なのだろうか。そんな感じは全くしないが。
「炭酸水、二本で足りる? チータラは?」
「笹かまはケントが送ってくれたんがありますよ」
「でもこの店で酒買うとか、イケないコトな感じ半端ないっすね!」
「えっ、買ったことないん?」
「当たり前やないですか、近すぎっす」
「せやな、面も割れてるし。通報されるで」
「あー、そっか」
 そこまで来て、ああ部活か、例の野球部、とシンヤは漸く気付く。久しぶりに帰省した、というかグラウンド近くのコンビニに寄ったということだろうか……と思っていると、すんません、と、どかどかとレジ台にカゴが置かれた。
 怖ろしい量のビールとつまみをレジに打ち込みながら、健康そうな三人の男達は賑やかに会話を続けている。イケメンの男性がまとめて支払い、ダース単位の酒類を軽々と担いで、さっさと出て行ってしまった。あの量ならケースで買ったほうが良いんじゃないだろうか。
 それにしても、あのイケメンの顔はどこかで……見たような気がする、とシンヤは少し首を捻ったのだった。




 三人の来店があってから数日後、久々に例の院生さんが来た。
 おっ、とシンヤの心は密かに浮き立ったが、なんだか院生さんの雰囲気がいつもと違うことに気付く。髪が伸びたとか痩せたとか太ったとかではなく、どことなく……空気が和らいだというか、明るいというか。院生さんは買い物カゴを手に取ると、心なしか足取りも軽く店内に入ってくる。
 売れ残った朝刊を片付けつつ、はて? と思っていると、続いて来店を知らせるチャイムが鳴った。「いらっしゃいませー」と口にしたところで、その客がたかちゃんだということに気付いた。来店が続くのも珍しいな、と思っていると、
「かえで!」
 と、彼が彼を呼んだ。
 は? と思わず口が開いた。院生さんが振り返って「早かったな」と微笑んだ。
 息が止まる。
「うん、ユキちゃんが送ってくれた」
 ああそう、と、『楓さん』はなんだか微妙な表情をしたが、相手はそれに気付かないようだ。
「まあいいや、おまえ、他に欲しいもんあるか?」
 二人で楓さんが手にしたカゴを覗き込む。
「えっ、これだけ? 足りないことない?」
 ないな、と楓さんは軽く首を振る。
「このあいだ、あいつらが置いてったろ、いろいろ」
「ああ、せやった。ほんま買いすぎやんな。二人とも買い物が楽しかったみたいで」
「それは分からないでもないけどな。あ、ヨーグルトはまだあったよな?」
「うん、だじょうぶ」
「納豆巻き食うか?」
「……やめとく」
「おまえ、まだ食えねえの?」
「あれが食べものいうの、納得いかへん」
「イソフラボンなめんなよ、完全栄養食だぞ」
 そんな会話を聞きながら、シンヤは先日、目撃した三人のやり取りも思い出す。そして何より、この二人の距離感と一挙手一投足が……
「こんばんは」
 声を掛けられた。というか、たかちゃんがレジにやってきた。
「い、いらっしゃいませ」
 条件反射で口にして、シンヤはあたふたとレジに戻る。何とか気を落ち着けて、カゴの中身のレジ打ちを始めたところ、あっ、と、楓さんは何かに気付いたように陳列棚に戻っていく。買い忘れかな、と思いつつ、心を無にしてレジ打ちを続けていると、ぽん、と軽い音がして箱がレジカウンタの上に置かれた。
「これもお願いします」
「あ、ハイ」
「ン? えっ?」
 コンドームが。
 たかちゃんとシンヤがしばしそれを見詰めていると、楓さんのスマフォに着信があったらしい。ちょっと面倒そうな貌をした楓さんはスマフォを片手に、あとで払うから、と彼に軽く言いながら出て行こうとする。
「えっ、や、ちょっと、楓? ど、どうして」
「たしか残り少なかったから」
「だ、で、でも、なんでいま?」
「なくなったら困るだろ」
「こ、こま……ちょっ……?」
 平然と応えて立ち去る楓さんに、慌てるたかちゃんは耳まで赤い。ほとんど男子高校生のような反応に、シンヤは思わず言わずもがなのことを口にした。
「袋、分けましょうか?」
「やっ、だ、大丈夫です?」
 ボディバックに入れるというので、シールを貼ってたかちゃんに渡す。相手が焦っているとかえって冷静になれるのか、シンヤは自分が一連の行動をすかした顔で出来ていることを内心、感謝した。それ二人で使うんですか? なんて訊かないんで、慌てるとかえって良くないですよ、とかアドバイスすべきかと思ったりもする。
 あまり、深く考えてはいけない。
 いや、考えないわけではないが、あまりに……微笑ましくて、シンヤはつい顔が緩んでしまうのを必死に堪えていた。




 シンヤは別に、その手のことに理解があるわけじゃない。
 ありえないとか、キモチワルイとか、そんな風には思わないが、やっぱり自分とはカンケーない、どこか異国の話みたいなものだった。でも。
 本当に幸せそうだったので。
 なんともない会話も、仕草も、二人の空気感も、どうってことないさりげなさで、ただの日常っぽくて。学生生活よりは落ち着いているが、家庭生活というには初々しい。帰りにから揚げを買って二人で分けるんだろうとか。友だちが遊びに来たら、なんだかんだと付き合って一緒に飲むんだろうとか。この時期は二人で鍋もするんだろうとか、初詣には一緒に行くかもしれないとか。
 どうでもいい毎日に、この店があると思うと、腹のなかがじんわり暖まるようで。
 かたちゃん(と楓さん)がこれに懲りず、また来店してくれればいいな、と、シンヤはちょっとだけ思った。




 ふわっ、と。
 風圧に顔を上げると、電車が入ってくるところだった。いつもの見慣れた色合いではない、車体になにやらチカチカと描かれたラッピング電車だった。
 そこでようやく、シンヤは気付いた。思わず「あっ」と声が出た。
 あの、大量の酒とつまみを買っていったイケメン、の顔。
 見覚えがあるはずだ。バイト先のコンビニで、ちょいちょい貼り出されるポスターでもお馴染みだ。ラッピング電車を見ながら、シンヤはしばし立ち尽くした。
 彼は某球団の左のエース、ユニフォーム姿で不敵に微笑んでいる。右奥にバッティングフォームが写っているのは後から合流したガタイのいい若い男で、次期主砲候補の伸び盛りの外野手だった。
 そしてエースの左側に写る、ワインドアップの長身の投手は、


「ほたか、だから……たかちゃん、か……」




 ご近所のお嬢さん、お兄さん、紳士淑女の皆様や、高校球児の皆さんも、
 物理学者のあの人も、プロ野球選手のあなたも。
 どなた様もいらっしゃいませ。
 皆様のホットステーション、今後とも、どうぞご贔屓に。















































 『相対性サヨナラゲーム』に書き下ろした小話です。珍しく?すっごいふつうのラブコメじゃないですかね!!!(自画自賛?なう)
 いやこんなコンビニあったらバイトになるよ、と心底思いますが、まあ。あと結局、近所の皆さんには隠せないっていうか、隠す気ないですよね、と言う二人でした。

2023.06.03収録



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