◇◇◇◇ 毎度お馴染み、実際の人物、団体とはぜったい、まったく、本当に無関係です ◇◇◇◇













  君に感謝を、そして王者の矜持に喝采を。


















  こんなに遠かったっけか。






 深緑のスコアボードを振り仰いで、上條悟はぼんやりとそう呟いた。
 一年ぶりの聖地は、スタンドもグラウンドも高く、広く、遠く。まったく手の届かないところにあった。
 それもそうだな、実際に届かなかったんだから、と。サトシは焦点の合わない目で甲子園球場のスコアボードを暫し、眺めていた。ここで後ろを振り返っても、お馴染みの顔ぶれは居ない。彼は一人だ。
 たった独りだった。
 手にした真紅の旗の重さは喩えようもなく、サトシは顎まで泥の沼に沈みそうになっていた。




 明日からここ、阪神甲子園球場では第9x回全国高等学校野球選手権大会が開催される。
 初日はもちろん開会式からスタートするが、今日はそのリハーサルが行われていた。新品のユニフォームに身を包んだ代表校の球児達が、そわそわと列を作ったり解いたりしている。空気が浮き足立っていた。
 眩いばかりの夏空は目に染みるほどの蒼さで、明日までとっておけばいいのに、と、サトシはまたも余計な事を考えた。甲子園の外壁は目にも鮮やかな緑のツタに覆われている。ここは文句なしに日本で一番の球場だった。サトシにとっては一年ぶり、三度目の聖地である。
 しかし、今回は勝手が違う。
 自分が異分子だということは、サトシ自身、最初から気付いていた。否、来る前から解っていた。この場所でたった一人、戦わずに去るからだ。旗を握る手に力を込めると、よく日に焼けた手の甲に血管が浮き出た。


  前年度優勝校主将による優勝旗返還


 それがサトシに課された、高校野球での最後の仕事だった。






 盛夏の太陽は朝日であっても凶悪だ。
 入場を待つ間にも、既にじりじりと焼かれる蝉の声が響いてくる。サトシは汗の球が顎先から落ちていくのを感じた。
 勿論、この日が来ることは一年前から決まっていた。だが、孤独な道行きにするつもりはなかったのだ。皆で、戻って来るはずだったのだけれど。
 唯、それがどれだけ困難なことかも、よく解っていた。
 サトシの学校がある県は東日本随一の激戦区だ。強豪校も多くひしめく。二週間前の県大会準々決勝、優勝候補同士の一戦はライバル校に軍配が上がった。六回の裏にスリーランを浴び、膝に両手をついたエースを見詰めながら、サトシは今年の夏が終わることを覚悟した。
 更には今日の日を、そして明日を覚悟したのだ。
 『真紅の大優勝旗』
 百回近くを数えるこの大会で受け継がれる、閉会式で優勝校に渡されるチャンピオンフラッグ。この旗を手にすることを目標に、全国の約四千チームが一年を戦う。そして夏の盛りに聖地に辿り着いた49チームが揃う開会式で、前年度優勝校から聖地に戻される。
 そのディフェンディングチャンピオンが、49代表に含まれるか否かに拘わらず、だ。
 なんと残酷な行事だろう、とサトシは思う。
 キャプテンとして指名された日に改めてそう思った。昨夏、優勝を成し遂げた前チームが地元に凱旋した翌日、新体制が発足した。サトシが主将に指名されるだろうことは本人もチームメイト達も薄々解っていたが、その任が如何なるものかは解っていなかった。しかしその日、監督やコーチ、前主将の反応に、どんな意味があるか気付かされたのだ。


 頼んだぞ、と。
 普段は厳しい監督が、強くサトシの右手を握り締めて静かに告げた。むしろ祈るような… 声だった。
 古今東西、優勝校に託されるのは連覇の夢だ。しかし激戦区では地方大会の連覇でさえ難しい。現に前チームが二年連続の県代表を勝ち取ったのも、実に12年ぶりだった。しかも超高校生級の左右の二枚看板と、下級生の頃からレギュラとして経験を積んだ野手陣を擁し、史上最強との呼び声もあったチームをもってしての話だ。新チームにはそれだけの戦力も経験も残らない。その状況下での三連覇となれば、難度は推して知るべしである。
 重圧、焦燥、悔恨、落胆、孤独…
 これから新チームにのしかかってくるであろうマイナス要素が、目に見えるような。そして主将の自分に課されるものの重さと冷たさに、強心臓で鳴らすサトシであっても、膝が震えた。
 その圧力にやはり断ろうかと一瞬考えたが、飲み込んだ。飲み込めたのは、誰かがやらねばならないことだったから… というより、恐らくあの言葉があったからだろうと、今は思う。


 指名の直前、キャプテン… もう前主将になった瀬戸孝宏に、ちょっと、と呼び出された。
 ダブルエースに注目が集まり雑音が多い中、瀬戸は希有な統率力でチームをまとめた。前チームは間違いなく彼のチームで、皆の憧れでもある。各役職のメンバーから後任への引き継ぎは改めてあるだろうが、キャプテンの心構えについてかなにかか、とサトシはなんとなく考えていたのだが。
 その瀬戸が突然、頭を下げた。
 あのキャプテンが自分に! と、サトシは狼狽えた。誰より真面目で誰にでも厳しく、自分自身には更に厳しく、いつだって真っ直ぐ背を伸ばして立っていたキャプテンが、直角に腰を折り、自分に頭を下げていた。
「すまない」
 開口一番謝られ、サトシは更に混乱した。とりあえず顔上げて下さいとかなんとか、ごにょごにょと言った気がするが、そんなサトシを遮って、
「本当にすまない。でも、」




  お前にしか頼めない




 瀬戸の絞り出すような声に、サトシは何を頼まれているのかを知った。
 新チームだけではない。夏連覇の夢なんて厄介なものではなく、具体的な役割が一つ、既に決まっているのだ。前主将の精悍な顔が辛そうに歪んでいた。サトシが負わなければならない役目を思って、彼は頭を下げていた。
 と、今ならよく分かる。
 たった独りで、あの広い芝のグラウンドを歩くことになる日が来るかもしれないことを、彼も、彼も彼らも自分も、きっと知っていたのだ。


 結局、それは現実となり、サトシは今、青空の下で優勝旗を抱えて立ってる。
 たったひとりで。
 もう自分のものではなくなった背番号を背負って、届かなかったものを噛みしめながら。
 ただ、あのひと言だけがサトシを支えている。
 いまも。






 120分間走だってこんなにキツくなかった、と。
 せいぜい数時間のリハーサルを終え、優勝旗を所定の場所に戻した頃には、サトシは余りの疲労感にへたり込みそうになっていた。
 今年、県代表になったライバル校のナインはもちろん、各地の代表校に顔見知りは居るが、挨拶をする気には到底ならなかった。やはり優勝旗の重さはひとりの手に余る。
 更に、中天まで登った太陽は容赦なかった。あまりの熱と湿度に、ただ立っているだけでも消耗する。
 さっさと帰ろう、部外者なのだし、と。偵察を兼ねて来ているコーチに連絡を取ろうと、サトシが踵を返したときだった。
「上條!」
 呼ばれた。
 耳に馴染んだ声だ。だからこんなところで、聞くはずがない声。
 サトシが弾かれたように顔を上げると、その長身はすぐ目に留まる。彼は勝手知ったる様子で球児や関係者を掻き分け、こちらに近寄ってくる。
「…なんで」
「久しぶりやなあ。ちょい背伸びたか?」
 まだぎりぎり少年に分類されそうな長身は、ずいぶんと大人びて見えたが、笑うとあどけなさが目立つ。ただ明らかに一年前と纏う空気が違うのは、やはり環境に依るところが大きいのだろう。
「なんでいるんすか」
 コバさん、と、サトシは呆然と呟いた。
 長袖Tシャツにジーンズという何の変哲もない格好の少年だが、サトシに声を掛けたのは間違いなく昨夏の優勝投手の片割れ、小林穂高だった。黄金比を誇る体躯も、野球エリートが十把一絡げに集う空間では紛れてしまうし、ユニフォーム姿でマウンドに居るとき以外は、けっこう地味な人で。
「なんでって…」
 彼は苦笑する。そこは去年のままだった。
「お前に、会いに来たんだけど」
「…俺に?」
 うん、と穂高はやはり柔らかく頷いた。わざわざ?と眉を顰めたサトシに、「急行で30分や、すぐだって」とカラリと笑う。
 前チームの二枚看板は去年のドラフト会議で無事、両名とも指名を受け、めでたくプロ野球選手になった。今、目の前に居る右腕は関西のチーム、もう一方の左腕、柳澤圭一郎は関東のチームに居る。そう考えれば、確かに近所ではあるのだが。
「大会、明日からですよ」
「知ってるけど、休みは今日だけやんな… や、だから別に、試合見に来たわけじゃなくて」
 この場合、明らかに狼狽えているのはサトシである。なんで、ともう一度呟いた後輩に、前エースはすこし、長い首を傾けた。
「頼まれてなあ」
「え?」
「上條が独りで頑張ってるから、見てやってくれないかって、頼まれた」
 誰に、と。サトシが口にする前に察したのだろう、穂高は指を折る。
「タカヒロだろ、圭一郎に、田村と水原と、オカちゃん、トオルにハル、ミズキ、あと藤堂さんと…」
「あ、えっと、分かりました、はい」
 ずらずらっと続く読み上げを思わず遮る。みんな、の名前に少し、目の裏が熱くなって困ったから、サトシは汗を拭って誤魔化す。
 いや、だからってなんでわざわざ来るんですか、そんな暇なんですか、とか。試合するわけじゃないんですから、そんないいですよ、とか。子どものお使いじゃあるまいし、みんな俺のことなんだと思って、とか。どれかを口にしたような気もするし、あるいは全部言ってしまったかも知れない。黙っていたら今度こそ泣き出してしまいそうで。
「…お疲れ」
 結局、穂高はそれだけを言って、笑った。
 その辺りでサトシはようやく気付く。穂高のイントネーションが中途半端だ。元々こちらの出身だ、すっかりコトバも戻っているだろうに、たぶん、自分に気を遣っている。
 そうだ、違う、ありがとうございます、だ。やっと気付いたサトシが口を開ける寸前、
「見ぃつけた!」
「おわっ」
 にゅうっ、と、穂高の背後から黒くてしなやかな腕が現れて、彼の首に巻き付く。え、な、なに、とサトシが見ている前で、続いて穂高の肩の上に、ひょっこりと小さな顔がのぞく。
「ひとが話してる間にどこいくねん。逃げんな」
「や、逃げるて… だってカンケーないでしょ、おれ」
「んなわけあるか。さっきかてM下監督に聞かれたで? 小林はいないのかって」
 と、そこで穂高を確保している青年がこちらを向いて、サトシと目が合う。アーモンド型の瞳がくるりと動いた。笑う。
「へえ、ふつーにイケメンやん。てか、おまえんとこのキャプテンって、イケメンじゃなきゃなれんの?」
「は、はあ? なんすかそれ」
「前の、おまえのときのキャプテンもイケメン枠やろ。ほら、セカンドの」
「ああ、タカヒロ… は、たしかにオトコマエかなあ」
「モテたろ、チアとかに」
「それはまあ」
「イケメン揃いなのって、監督さんの趣味?」
「ええええええ」
 思いっきり眉尻を下げた穂高の斜め後ろで、彼はニヤリと笑ったまま「こんにちは」と言った。
 その綺麗な顔には見覚えがあった。というか、さすがに知っている。去年、穂高と同じチームにドラフト三位で指名された赤谷祐輔だ。
 赤谷は京都の甲子園常連校出身で、二年生エースとして挑んだ夏大でベスト8、その後は社会人に進んで都市対抗野球でも活躍した。その経歴もだが、昨年のドラフト組だと一、二を争うイケメンと評された容姿でも有名だ。だいたい、高校生の時からその外見と強気の投球のギャップがネタになっていた。
 コンニチハ、と反射で答えてから、いやここは初めましてとかちゃんと挨拶を、と、サトシは体育会系男子の刷り込みで姿勢を正す。だが、穂高の方はなんだかしぶしぶといった風情で、赤谷をおざなりに紹介した。
「えーと、こちらは同僚の赤谷さんです」
「存じてます…」
「だよなあ」
「つうか、祐輔さん、暑いです。そんで重いです」
「贅沢いうな! だいたいお前が悪い」
 まあいいや、と、赤谷は穂高を解放すると、とにかくよろしゅうな、と右手を差し出した。サトシが慌てて手を出すと、「あそこに知り合い欲しくてなあ、よかったぁ」と、がしっと力強く手を握って華やかに笑う。


  おお、プロ野球選手と握手…!


 今更ながらプチ感動していたサトシだが、少しだけ「よかった、ってなんでだ…?」と内心訝っている。
 一方、満面の笑みでサトシとの握手を終えた祐輔は、ふと気付いたように穂高に訊ねた。
「てか、健人は?」
「…えっ、健人さん、来てるんですか?」
 健人とは昨夏の準優勝投手、鈴木健人のことで、実に奇遇なことに穂高と同じチームに指名された。穂高とは背番号も寮の部屋も隣同士で、今ではもれなくセット販売されている。もちろんサトシとも面識はあるし、去年の対戦後、幾らか話もさせてもらった。
 穂高は「ああ、挨拶だってさっき別れました」と、違う方向へ視線を向けるが、それには赤谷が首を捻る。
「あそこも今年は来とらんやろ。何処に挨拶するん?」
「あいつ、ずっと地元だったから○○にも友だち多いみたいですよ。あと東北って独自にリーグ組んでるやないですか。他のチームにも知り合いいるからって」
「そういや聞いたことあんな。秋田のNとか、岩手のTと仲良かったっけ」
「そうそう」
 などと。
 一般人に見せかけて、しかしこの場で妙に物慣れた風で話す二人は明らかに目立った。いくら穂高が(普段は)地味でも、さすがに赤谷と二人揃うと周囲に紛れない。辺りも少々ざわついている。これは… とサトシが困惑していると、
「じゃ、とりあえず俺、ウチんとこ顔出してくっから」
「あれ? まだやったんですか」
「ん、M下監督、話長くて。あっ、メシとか行くなら俺も呼んでな」
 じゃあ後で、なんて軽く手を振って、赤谷はするりと人垣を抜けていってしまった。






 それを見送って、穂高はいくぶん疲れたような溜息を一つ。
「ほんとマイペースっていうか… ああ、でもあれでも気ぃつかってくれてて。ほら、あそこは連覇かかってるから」
 そうだった。赤谷の母校はこの春、センバツを制した。そしてサトシたちと違って、夏の切符をももぎ取って春夏連覇に挑んでいる。羨む気持もなくはないが、この時点で自分の来し方を振り返れば、キャプテンのOには同情を禁じ得ない。
 それはともかく。
「コバさん、赤谷さんとすごく仲良い、んですね…」
 とりあえず言葉を選んでみたが。
 仲が良い、というより、近い。対右腕の態度としては、めったにお目に掛からない、というか初めて見る気安さだった。
 そもそも穂高はそのスペックや来歴もあって、色んな意味でチーム内では特殊な位置にいた。とはいえ、野球をやっているとき以外は温厚で、関西人らしいところもある人なので、年目に拘わらず付き合いがあり、特に地方出身者と地元出身者の潤滑油として機能した。他方、柳澤が地元育ちでいわゆる大将タイプだっから、まさにチームの両輪だったのだ。その右左腕がお互いを一番に尊重していたからこそ、チームがまとまったのは言うまでもない。
 しかし先ほどの赤谷の態度は、その唯一無二の柳澤とも全く違う。
 無論、同期のチームメイトともなれば寝食も共にする戦友で、高校生の部活とは比較にならない密度を持った関わり方になるだろうが、それにしてもなかなか見掛けない距離感に、サトシは密かにとても驚いていたのだ。
「えっ? 祐輔さんと?」
 そうです、と頷いたサトシに、うーんと唸ってから穂高は意外なことを言う。
「仲が良いっていうか… まあ、一番付き合い長いからなあ」
「へ? え、ええっ、どういうことですか?」
 思わず大きな声が出た。赤谷の母校とは1,2年に1回は練習試合を組む間柄ではあるが、付き合いが長いとなれば、それは始まりが違うことになる。
「あれ、言ってなかったっけ。ないか。俺の地元、あそこのグラウンド近くて。シニアの先輩たちにもあそこ行く人いたから、たまに練習とか、ブロック戦とか見に行ってて…」
 甲子園常連校のグラウンドは往々にして破格だ。規格を満たし、設備に恵まれているため、練習試合は元より地方大会のブロック戦等で使用されることも多い。県内出身のサトシも、進学前にうちの学校のグラウンドには何回か見学を兼ねて見に来ていたので、それはよく解るのだが…
 あるところに超有名な野球名門校があり、その近所に50を超える強豪校からスカウトを受けるような逸材が居るとしたら。
「それって… ものすごく誘われたんじゃ…」
「あ、うん、誘われた、けど」
 それはそうだろう。確か、穂高は大阪の某強豪校にも監督直々に勧誘されていたそうだが、あそこと同程度に進学先の有力候補だと思われていたのではないか。
「じゃあ赤谷さんとは」
「まあ、そこで知り合ったってゆーか…」
 言葉を濁す穂高に、サトシは直感する。これは恐らく相応に付き合いがあったに違いない。少なくとも、あの距離感が生じる程度には。
「…うちに来たの、ガッカリされませんでした?」
「すっげー文句いわれた。ていうか、今でも言われる」
 間違いない。ひょっとして… いや、考えないようにしょう、とサトシは心に決めた。
 しかしそれにしても。
「コバさん、なんでうちに来たんですか、わざわざ」
 としか言い様がない。
 率直に言えば、自分たちの目標は甲子園出場ではない。全国制覇だ。それを鑑みるに、サトシには彼の選択が最適には思われなかった。倍率だけで言っても明らかに難度が上がっているし、まったく新しい未知の環境に15歳の少年が飛び込むのは、リスクが高いようにさえ見えた。なにか明確な理由がなければ。
「わざわざって… ていうか、いまそれ訊く?!」
「や、前から思ってましたよ」
 何となくは。ただそんな何かの核心に触れるような問いは、なかなか訊ねられるものではない。
 うーん、と小さくうなった右腕は、それでも少し嗤ったように見えた。
「…それ、圭一郎にも訊かれたなあ」
「ヤナギさんが? いつ頃ですか?」
 跳ねるように返しながらもサトシは、あの左腕なら臆面もなく訊くだろうと思った。投球と同じような真っ直ぐさで。
 それには、やはり傾けた首を撫でながら穂高は笑った。
「初日、練習の時」
 思わずサトシは目を剥くが、それも当然のような気がした。出会ったその日に、問わねばならなかった事なのだろうし、答えるに足る問いだったのだろう。
 それで、なんと答えたのかと、サトシが問う前に。
 穂高の大きめな唇がゆったりと開く。




「日本一になるなら、一番強いチームでならないと意味がないと思って、って、言うたかな」




 その、眩いばかりの自負心は。
 高慢とさえ、言える十五歳の少年の気概と矜持に、十五歳の少年は何と応えたのだろうか?


  彼はどんな顔で、声で、春で。
  彼はどんな心で、手で、耳で。
  それを投げ、それを受け取ったのか?


 今となっては二人にしか解らない。
 しかし確かなのは、その日から二年半後、ふたりがその年の一番強いチームのエースになったということだ。彼らがどんな覚悟をもって、どれほど努力していたかは、サトシもよく知っていた。
 だからもう、こう言うしかなかった。
「良かったですね、優勝できて…」
「え、なに?! なんでそんな他人事なん?」
 あまりにも物語のようだったから、とは言えず。サトシは、イヤなんとなく、ちょっと感動しました、とかなんとか呟いて。確かに一番強いチームでしたね、と何の気なしに口にすれば。
「うん、俺、あのチーム、すきだったなあ」
 穂高はそうして深く、笑う。
「いいチームだったろう?」
 …そうだ。
 その笑顔に、サトシもようやっと思い出す。そのチームには確かに自分も居たのだ。二人のエースを支え、この聖地で夏を駆け上がり、間違いなく頂点に届いたのだ。獲るべくして獲った頂点だったとしても。
 いいチームだったのだ。
 しかし返事は声にならなかった。
 帽子を取って汗を拭ったまま、頷くことしか出来ないサトシに、穂高は更に柔らかい声で言うのだ。
「お前のチームも、いいチームだったな」
 長い指の、右腕の手が伸びて、サトシの頭をがしがしと撫でた。
「よく頑張りました」
「…はい」
 溢れる涙は。



  そうです、コバさん、俺、すっごくがんばったんです。


  あなたが貴方のチームを愛したように、
  俺も、おれのチームが好きでした。
  今年の、なにもかもが足りなかったチームが、好きでした。




 帰ったらちゃんと、田村や水原や、みんなに言わなければ。
 伝えなければ。
 如何にこの季節が美しくて残酷なのかと、どんなに自分が幸せだったかを。
 


 あと16日後にはこの夏の王者が決まるだろう。
 嗚呼、あの夏の終わりが、甦る。








  キーン!!




 高い金属音は、青くあおい空に吸い込まれず伸びた。
 左のエースは鋭く振り返る。だが音に反して白球は失速し、満員の外野スタンドを背景にたった一瞬、静止した。全速力で落下点に入った左翼手がグラヴを差し上げる。中堅手もバックアップに駆け込んで来る。
 割れんばかりの歓声と悲鳴のような溜息の中、白球は下降する。ネクストバッターズサークルの打者が天を仰いだ。
 捕手はマスクをかなぐり捨ててマウンドに奔る。同じようにマウンドに駆け寄る一塁手と二塁手の後ろで、最後の打者が膝から崩れ落ちた。三塁手は白球の行方を最後まで見届けず、あとはマウンドを見ればいいとばかりに前を向いた。
 白球が左翼手のグラヴに収まった瞬間、左腕は両手を高々と上げ、跳び上がった。それを捕手が抱き止める。内野陣がバッテリーを取り囲み、ベンチから飛び出してきた9人も頂上に辿り着く。
 最後の打球を捕球した左翼手に後ろから中堅手が抱きついて、二人を迎えた遊撃手は両手を広げた。三人は転がるように世界の中心へ向かう。
 炎天下の光と音の洪水を切り裂いて、右のエースが人差し指を立てた手を高々と掲げる。幾つもの手がそれに続いた。
 爆ぜた感情は言葉にならないまま、全員が咆哮した。
 そして最後に、芝の最深部から駆け付けた右翼手が輪の中に飛び込んで、18本目の指が蒼天を差した。




 『○○付属△△高校、38年ぶり3度目の優勝!』


 空に君臨する真夏の太陽は眩く、白く、熱く。
 47000人の大歓声と万雷の拍手の中、アナウンサが絶叫する。




 『この夏、3906チームの頂点に立ちました!!』

















































 や、開会式見てたらどうしても書きたくなって(笑)
 一方的に付き合いが長かった上に、今年の苦労もなんとなーく見てたので、勝手に保護者の気持ちになりましてね? もう応援に行ってやれよ!という気持でした。ええ。しかし途中から主役が祐輔くんに変わってびっくりだったよ、もう。


2016.12.18収録



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