◇◇◇◇ もちろん実際の個人、団体、出来事とは一切無関係です。まったく関係ないよ!! ◇◇◇◇













  黎明シガレット


















 無茶苦茶な仕事だった。


 かなり個性的な写真集であることは確かだが、コンセプトは悪くないし、参加アーティストの気概を知っていれば尚、骨を折るだけの価値はある。しかし、このご時世、スポンサーや関係者の調整と折衝だけでほぼスケジュールの7割を使い果たし、最重要なはずの編集にほとんど時間が割けなくなった。
 ということで、結局、フリーライター兼カメラマンの戸嶋結佳は担当編集者と作業部屋に詰めていた。
「…そろそろ平面で寝たいっす、おれ」
「寝てもいいよ、明後日なら」
「デスヨネー」
 ははは、と乾いた笑い声を上げたのは某出版社の担当で、大学の後輩でもある時任だった。といっても、学生時代に直接の関わりがあったわけではなく、たまたま共通の友人が居るというだけだ。しかし、こういう繋がりがあればこそ、こんな厳しいスケジュールの仕事を押し込めたのだ。
 まあ、この章も一区切りだし、と結佳はディスプレイから視線を切って、マグカップを取り上げた。
「そろそろ休憩しよっか」
「待ってました!」
 じゃあ行きますか、と急に元気になる時任に、結佳は苦笑を禁じ得ない。
 二人とも近頃では珍しいスモーカで、休憩となれば、どんどん遠く狭くなる喫煙室(ほとんど金魚鉢のようだ)にコーヒー持参で籠もることになる。
 ド深夜だ。せめてこんな時くらい良いコーヒーを、と時任がカプセル型のコーヒーメーカでエスプレッソを煎れる。芳ばしい香りと共に各々、自分の煙草を取り出して、手慣れたルーチンで火を点ける。結佳がハイトーンアッシュの前髪をかき上げると、その風に紫煙がかすかに揺れた。
 この頃、結佳がのんでいる煙草は知り合いから譲ってもらった珍しい銘柄で、独特の薫りが特徴だった。その、どことなくスパイシィで甘い煙が漂うと、


「あー、戸嶋さんの匂いがする」


 ため息と共に吐き出された時任の言葉に、不覚にも少したじろいだ。
 いや、むしろときめいたと言うべきだろうか、と思い直してから、結佳はそっと苦笑した。こういうところで立ち止まるあたりが、もうダメなのだ。「抱こうか?」ぐらいの軽口が叩ければいいのに、と胸の内で呟いてから、
「そういやさ、山科君、タバコ辞めたらしいよ」
 共通の友人の名を出して誤魔化す。時任ははっと顔を上げる。
「え、ええ?! 山科が?!」
「そうそう、意外だよねえ」
「あいつは肺がんになっても吸ってると思ってました… マジか。ん? 山科に会ったんすか?」
 学生時代、時任がバドミントン部でエースの座を争っていた同期と、結佳が出入りしていた写真部で知り合った後輩が同一人物だったのだ。
「うん、たまたまね。ほら、この間、大阪で○○賞展あったでしょ。山科君、いま京都だから見に来てて」
 時任は、ああ、あいつ今はK大でしたっけ、と頷いたが、
「てか、戸嶋さんが入選したやつじゃないっすか。もう、早く言って下さいよ、お祝いしないと」
「どうもありがとう」
「で、どうでした、山科。元気でした?」
「相変わらずイケメンだったね。周りのお客さん、写真じゃなくて彼、見てたもん」
 でしょうね、と時任はからからと笑う。共通の友人は非常に端麗な容姿をしていたが、更に頭脳のインパクトも大で、今は京都で物理学者の卵をやっている。
「あいつ、外見はアレだけど、中身はただの理系オタクですよね。いいヤツだけど」
「まあ、科学者なんてオタクでなんぼでしょ。JAXAとかカミオカンデの写真とか見せてもらったけど、なかなか良かったよ」
 それ研究っつーか趣味が八割で行ったんでしょうねー、と言いながら、時任はぷかりと煙を吐いた。
「そういや、今年は正月に逢いそびれたし、去年もほぼ入れ違いで… しばらく逢ってなかったかー。まだ学生ですよね」
「もうそろそろ博士課程終わるんじゃない? 京都行ったの、4年生のときだっけ」
「ですね、指導教官がK大に移るとかって… そのままドクタまで行くとは思わなかったけど」
 と頷く時任だが、ふっと真顔になって訊いてきた。
「そういや、戸嶋さん、ほんとに山科と付き合ってなかったんですか?」
「ええっ?! 今さらなに言ってんの。ないない」
 顔を顰めて、ぱたぱたと手を振る結佳に、時任はすこし首を捻る。「でも仲良かったですよね」と言う鼻の頭に、少しシワがよった。妙な言い方だが、そんな時任が可愛らしくて、結佳は唇を笑みの形にしたまま新しい煙草を取り出した。以前なら煩わしいと思っていた類の話題だが、三十を過ぎると冗談のひとつだ。
「そういや、タバコ辞めたの、いまの彼女のせいらしいよ」
「うっそだあ! や、え、ほんとに?」
 あいつが女のために禁煙…! と衝撃を受けているらしい時任に「びっくりだよね」と笑いながら、結佳はその話を聞いた日のことを思い出していた。






 会場は中之島にあるギャラリで、結佳は激務をかいくぐるようにように大阪に向かった。
 中之島は古くから天下の台所として官庁や金融機関が集まって栄えた場所だが、公会堂や大学もあり文化の中心でもある。更に再開発で雨後の竹の子のように高層ビルが増え、有名建築家が手がけた美術館も建てられた。川に囲まれた大阪の心臓部はすっかり美しくなっていたが、それを堪能することもなく、結佳は足早に会場に向かう。
 きらきらと光るエントランスで、出てくる男性とすれ違った。背が高い。しかも彼の腰は結佳の胸の辺りで、その脚の長さに思わず振り返るところだったが、そんな場合でもないと前を向いた。
 会場はなかなかの広さで、やはり少し嬉しい。関係者に挨拶し、同業者や知った顔に声を掛けられる。適当に会話を交わしつつ、自身の作品に近付くと、見覚えのある顔を見つけた。というか、気付かないのが難しいレベルで、その人物は静に磁場を作っていた。
「山科君!」
 声を掛けると、その青年が振り向いた。彼の周囲にビミョウに出来ていた輪がそっとばらける。3、4年ぶりのはずだが、更に磨きがかかった美貌が微笑んだ。
「戸嶋さん、お久しぶりです」
「ごぶさた。あいかわらず無駄にイケメンだねえ」
「無駄ですみませんね。じゃないや、おめでとうございます」
 と、言いながら飾られた結佳の作品に向き直った。
「ああ、ありがとう」
「日本海ですか?」
 間髪入れずに問われ、学生時代と変わらない反射時間に結佳はくすりとする。
「うん、魚津のちょっと西側かな」
「いいですね、初冬かな」
「蜃気楼を待ってたんだけどね。逆の方が面白くなっちゃって」
 地平線ではなく、海岸線と稜線を背景に、夕陽に照らされた街道を歩く老女が写っている。背中には行商人のような大きな荷を背負っていた。波打ち際の黄金色や、街に伸びる黒い影がよく撮れたなと本人は思っている。
「柿色の冬ですね、とてもいいです」
 この後輩は徹頭徹尾、論理的で、はっきりとモノを云う。だから純粋な称賛はくすぐったくて、「たまたまね」とどうでもいい謙遜を口にしていると、あっ、と山科が顔をこちらに向けた。
「そうだ。俺、戸嶋さんに恩返ししないとなんですよ」
「は? おんがえし?」
「そうそう。時間あります? コーヒー奢りますよ」
 意外な言葉にオウム返しな結佳に、山科はふふっと笑った。迂闊にも少し見とれてしまう。なんだか、彼はとても嬉しそうに見えたのだ。




 とはいえ、山科に特別な感情を持ったことはない。と、思う。
 それはそれで自分でも不思議ではあった。結佳は内心、首を傾げる。時任が言うように、確かに山科とは親しかった、というよりけっこうウマが合ったからだ。
 でもそれは、どちらかというと同志というか、仲間意識ではないだろうか、と結佳は思っている。


 結佳はだいぶ古い土地の生まれだ。
 しかし両親共によそから来たせいもあってか、そんな地域には珍しく、とてもリベラルだった。たとえば妙なヒエラルキーで出来た子ども社会とか、女の子らしく・男の子らしくとか、村社会っぽい気質や既成概念のようなものをことごとく受け付けない性分だったのだ。ロジカルな質でもあったから、べたっとした女子特有の文化にも馴染めず、幼い頃は少し浮いていたのは否めない。しかし、なんとか学校生活を送るうちに軋轢を避ける術を身につけたのと、運良く?結佳はお勉強も出来たので、進学するにつれその手のめんどくささは消えた。女子は棲み分けが上手いのだ。
 しかし大学進学以降、辟易したのは男子のめんどくささだ。そこそこ美人であっさりした性質の結佳は、相応にモテた。しかし彼女から見ると、男に生まれたと云うだけでやたらと上からなやつ、努力を見せまいと努力して捻れてしまうタイプ、根拠の薄弱な自意識でマウンティングを掛けてくる輩さえ居て、本当に迷惑だった。それら全部を切って捨てていたら、男嫌いに分類された。もう何からほぐせば良いか分からない。
 ちなみに、この年になって気が付いたが、未だ女子の方が不利益を被ることが多いとはいえ、生き方の幅は広がってきているのに、男子の方が実は狭く不自由なままなのだ。いま思えば気の毒ではあったが、当時は本気で苛立ったものだ。おかげで、結佳としては理不尽としか思えない背景で、コミュニティでは「変わったひと枠」に入れられていた。
 そして山科もこの枠に突っ込まれていた。とにかくあの容姿と頭脳、しかも帰国子女だったか。望まなくとも集団から逸脱してしまうから、雑音も多かったのだろう。周囲の勝手な思い込みや期待値と本人の気質と意志が噛み合わず、しなくていい苦労をしていたせいか、どこか他人とは距離を置いていたというか、冷めた風情だった。
 そんな状況下で出会ったわけだが、二人とも本来、男嫌いとか人嫌いというわけでもないので、好きなアーティストが同じという始点で、多少年は離れていたがするすると親しくなった。それ以上に、余計な情報、女だとか男だとか、バックグラウンドやステイタス、そんなものは無視して、フラットに、自由でいたいという矜持ともいえるものが、たぶん共通していたのだ。
 いま思うと青臭くもあるのだが、まさしくこれぞ青春だった。




「若かったなあ」
「え、誰がですか?」
 いやなんでもない、と苦笑した結佳に、山科は僅かに首を捻る。そういう小さな仕草でさえ絵になるので、本当に大変だろうなあと思ったりもする。
 ギャラリのあるビル内の喫茶店は完全分煙で、結佳は自然に喫煙席を選んでいた。無意識に煙草を取り出したところで、結佳は山科が灰皿さえ手に取ってないことに気付く。どうしたの?と軽く訊ねると、意外なことに彼は「ああ、俺、止めたんです」と言った。へえ、と軽く、いや、内心かなり驚いて、結佳は火を点けられずにいた。
 そうこうするうちにも、店員や客が山科をちらちらと見ているのがわかる。以前からそういうことはあったが、それにしても多いなとふと相手を見直すと、線の細い少年らしさはすっかり抜けて、匂い立つような男前が座っている。知り合ったときは二十そこそこだった山科が成長していることに気付いて、結佳は感慨深かった。すでに保護者の心境で自分でも残念だったが。
 それには気付かなかったことにして、さっと本題に入った。
「そういや、恩返しってなに?」
 なんか貸してたっけ、飲み代? と軽口を叩くと、「いやいや、けっこうな大恩なんですよ、それが」と山科は云う。
「5年前でしたっけ、F先輩の壮行会のときです。アドヴァイスくれたでしょう」
「ああ、えっと青山か、あ、渋谷だったっけ」
「そうそう、坂の途中のレンガ造りのとこです」
 海外に写真の勉強、というか武者修行に出掛けるという同窓生のために、写真部のOB・OG・現役生が集まったときか。結佳は記憶を呼び出す。既に京都に移っていた山科が、たまたま上京していたとかで顔を出したのだ。
 すっかり酔いも回ったあたりで、各々の作品の批評まで出た。そこで山科は「おまえの写真はつまらない!」とダメ出しを喰らっていた。彼は器用でセンスの良い写真を撮るのだが、どこかおさまりが良すぎて… 少々面白味がなかったのだ。どこかで耳にした「芸術作品に必要なのはティースプーン1杯の狂気」というフレーズが頭を過ぎって、つい、
「泥臭い写真とか撮ってみれば?」
 と言っていたのだ。泥臭い、とは?と首を傾げる後輩に「そうだなあ、ほら早朝の労働者とか学校の部活動とかさ」と適当なことを言ったのだ。
「それで、撮りに行ったんですよ、甲子園まで」
「え、ほんとに!? しかもなんで甲子園?」
「青春ど真ん中の泥だらけ写真と思って」
「案外、素直じゃないか、山科君…」
 泥臭いの意味が違っている気もするが。ま、近所ですし、夏の風物詩ですしね、一度見てみたいとは思ってましたよ、と山科は笑った。もちろん、報道で使うようなスポーツ写真は端から望んでいない。選手でさえなくてよかった。真夏の一瞬を切り取るような写真を、と思っていたのだろう。
「死ぬほど暑かったですけど」
「だろうねえ」
 なんせ気温40℃近い、原則野外での運動禁止の期間に開催しているのだ。そろそろ真剣に開催時期を考えるべき、と新聞記者の知り合いが云っていたのを思い出す。
「そこで撮ったんです、一枚」
 言いながら、山科は鞄からタブレットを取り出した。長くて白い指がすっと動いて、ライブラリから写真を呼び出す。結佳はどれどれ、と覗き込んだ。


 ちょうど試合が始まろうとしているところだった。
 一塁側ダックアウト前に整列し、今まさに、グラウンドに飛び出そうとするナインの背中が写っている。
 逸る心が列を僅かに乱し、真っ白いユニフォームの背中は朝日を受けて目に痛いほど。
 ナインの背景で、銀傘の下は陽光の直線で白黒が区切られている。芝生の翠も瑞々しい夏色だった。
 くっきりと浮かんだ背番号の少年達の顔は見えないが、その背中はあまりに雄弁で、緊張と歓喜が鮮やかに写り込んでいた。


「ああ、いいね」
 素直にそう言った。洒落てもいないし整ってもいない。若干、露出さえ甘い気もするが、とにかく撮るべき一瞬が写っていた。山科は「ありがとうございます」と小さく頷いた。
 確かに山科にしては新機軸なのだが、さっきの言を借りれば大恩らしいので、これがどういう…? と思って顔を上げると、美しい青年はその写真を見下ろしながら目を細めた。


「いい写真ですね、って言ったんです」


 誰が、と訊くのは憚られた。あまりに野暮で。結佳は少し顎を引く。
「生まれて初めてナンパしましたよ。いや、そんなつもりじゃなかったんですが…」
 そう言うと、山科はあえかに微笑んだ。
「二回逢ったあと、苦手だって云うので煙草は止めました」
 また逢ってもらえないと困るから、と。彼は。
「次の約束をするのが、あんなに幸せだって知らなかったんです」
 胸を突かれた。
 俯いた白い額に、長い睫毛に、光が弾けて。
 そうして彼は本当に、初夏の木漏れ日のように、笑った。


「ひとを、好きになりました」


 その笑顔に、結佳は僅かに目を細める。
 なんだか心がいっぱいになって、泣きたいような気持ちになる。それから、後輩を羨ましいと思っている自分に気付いて、ちょっと驚いたのだった。




 そのまま後輩の恋人の話を続けるのは気が引けて、あとは近況報告のように互いが最近撮った写真の話をした。それでも山科が穏やかないい貌をしているので、やっぱり保護者な気持ちで結佳も安堵する。
 結局、結佳は煙草に火を点けそびれたまま店を出て、ふたり会場に戻ったところで、山科がつと足を止めた。
「ほたか」
「え?」
 ある写真の前で、彼がぴたりと制止している。結佳も足を止めて掲げられたパネルを見ると、
「ああ、奥穂高」
 冬の奥穂高岳が写っている。青白く眠る山々に、けぶるように薄紅の暁光が差している。厳冬期にこの一瞬を撮るために相当な努力をしただろうカメラマンを思って、思わず心の中で合掌する。しかし、とにかく、
「これは美しいね」
 ため息と共に称賛した結佳に、しかし山科は応えなかった。反応速度は抜群のはずの彼の鈍さに、あれ、と思って振り向くと、端正な横顔はひどく驚いた様子のまま固まっている。
 何かそれほど珍しいものでも写っているのか、と彼の視線を辿るように写真を見直すと、隣のパネルの方が目に入った。そちらは野球選手が写っている。背番号11の背中と、向かい合わせに同じユニフォームの少年がもう一人。高校球児だろうか? 背番号11の少年は顔の1/4しか見えないが、怜悧な顎の線が印象的だ。こちらを向いている少年も、きりりと引き締まった、なかなかいい面構えだ。結佳がつっと視線を動かすと、その球児写真のタイトルが『穂高』と読める。「あれ?」と思って隣の奥穂高岳を見れば『エース』というタイトルだ。
「やだ、これ、逆についちゃってるね」
 運営が間違えたのだろうかと、結佳が慌ててスタッフを探そうとすると、いえ、と固い声が彼女を制した。
「これで合ってます、カメラマンが同じなので。二枚セットで、シャレじゃないかな」
「は? しゃれ?」
 山科は僅かに目を眇めた。それから球児の写真を指差すと言う。
「この、奥のほうに居るの、柳澤でしょう。今は▲▲の、左のエースで」
「え、▲▲の? やなぎ…」
「柳澤圭一郎。だから、この背番号11は穂高岳です」
「…え?」
 彼が何を言っているのか解らなかった。しかし、彼がその写真を正確に読み取っているだろう事は分かる。戸惑う結佳はそっちのけで、山科は球児の写真を見ながら呟いている。
「いつだ…? 甲子園じゃないし、ハマスタでもないな。県大会か… あそこの関係者か…?」
 少し考える風だった山科は、こちらを向かずに訊いてきた
「戸嶋さん、この長峰ってカメラマン、ご存じですか?」
「うーん、覚えはないなあ。この奥穂高はいいなと思うけど… Sさんとか知ってるかな」
 顔の広い写真部OBを思い出しながら答えると、もし分かったら教えて下さい、と山科が言う。その妙に真剣な口調に思わず、分かった、と頷きながら改めて後輩を見直す。
 彼はとても不思議な表情をしていた。
 何処か困ったような、それでも嬉しそうな眼差しに、ふと、いまなら訊けるかな、と結佳は彼から視線を外して、たずねた。
「あのさ、山科君の彼女ってどんな人?」
「え? なんですかいきなり」
「いやちょっと、あの山科君にタバコ辞めさせるなんて、そうとうな猛者だなと思ってさ」
 なんでもないように言えたかなと、結佳が内心ひやひやしていると、彼は「そうですねえ」となんだか諦めたような声でまた、ぴっと写真を指差した。


「こんな感じです」


 冬の奥穂高、と、そう言って彼は笑った。






「え、なんすかそれ、背が高いってことっすか?」
 呆れたように言う時任に、まあそうだよね、と結佳は胸の内で頷く。
「…クールビューティーなのかも?」
「あいつ以上にデスか? うーん、どうだろ…」
 穂高岳の険しい岩場と雪渓を思い起こしながら言ってみるが、まるで想像はつかず、それは時任も同じようだった。
 ぷかり、と二人同時に煙を吐くと、白い煙は飛騨の山々にかかる朝靄より更に儚く散っていく。それをぼんやりと眺めながら、結佳は山科の最後の笑顔を思い出す。
 あの、何かを受け入れたような、ただ、柔らかな笑顔。
「いやでも、すっごく肝が据わってるんじゃないかなあ。私なら毎朝絶望しそうだもん。こっちはそれなりに努力したってこんな顔なのに、山科君、なにもしなくてもあの顔なんだし」
 羨ましい… と半ば本気で頷いていると、意外な反応が来た。
「そんなことないっすよ。戸嶋さん、すごく綺麗です」
「…は?」
 おっと、と。予想外の真面目な直球にちょっと身を引きかけたが、思い止まる。結佳は一瞬考えてから、
「それはどうもありがとう」
 にっこりと笑ってみた。
 自分を変えてみるのも、たまには良いかもしれない。
「よし、これ吸い終わったら休憩終わり。そんで、この仕事終わったら時任君に奢ってもらおうか!」
 大きく伸びをしながら、結佳は宣誓する。なかなかに気持ちがいい。
「え、なんでですか? 打ち上げじゃなくて?」
「お祝いしてくれるんでしょう?」
「あ、はい、それはまあ」
「肉かな、寿司かな。や、やっぱりお酒で選ぼうか」
 と、結佳がわくわくしながらスマフォで検索を始めると、それを伺いながら「ほ、ほどほどでお願いしますね…?」と時任がおののいている。結佳は自他共に認める酒豪である。
「しゃぶしゃぶか天ぷらがいいかなあ。がんばろ」
「…はい、いいです、頑張ります。とりあえず明後日を乗り切りましょう」
 ちゃっちゃと灰皿を片付けてくれる時任の気配を感じながら、結佳は、こういうのも悪くはないな、と思ったりもする。




 もう、幾らもしないうちに夜が明ける。
 結佳は窓ガラスの向こうで淡くなっていく夜空を見上げながら、たとえばあの冬の奥穂高で、その、たった一瞬を待つカメラマンの影を思い描いていた。



















































 とにかく主人公がアラサーのお姉さんです。
 そして実は某M屋さんが作って下さったキャラを元にして…いるはずなんだけどどうだろう…髪の色と酒飲みなところは残ってる…
 また冒頭部分は年末あたりに流れてたツイートが元ネタなんですが、これもビミョウで…ご存じの方はいらっしゃるかしら…元ツイ探せなくて。ツイ主さまにすっごくお礼が言いたいけど、まあ迷惑だよね…きっと全然違う感じになってるだろうし。(性別も実は定かじゃないし違いそう…)
 とはいえ、こんなところからですが、お二人には心からの謝辞をお伝えしたいです。本当にありがとうございます!!
 そして、明るい楓さんが書けて良かった。本来はこういう人なんですよ。

2018.7.1収録



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